磨墨塚史跡公園【するすみづかしせきこうえん】
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宇治川の先陣争いで有名な磨墨塚は源頼朝の愛馬で、頼朝から梶原景時へ与えられたこの名馬磨墨を葬った地といわれています。
頼朝の死後、幕府の内紛により、景時は鎌倉から追放され京に逃れる折、その息子、景季、景高等肉親、郎党とともに、ことごとく悲惨な最期を遂げました。この時景高の一子豊丸は幼少で乳母お隅の方の手にあったそうです。羽黒にゆかりのあるお隅の方は、豊丸を守り総勢十余人で磨墨を伴ってこの地に落ち延びて来ました。そして豊丸は羽黒の地で成人して、梶原景親を名乗り、羽黒城を築城したといわれています。その後、お隅の方は亡くなり、磨墨も時を同じくして亡くなりました。なお、梶原一族の墓2基は興禅寺にあります。




